高校、大学の先輩でもある柳町達とも連絡を取ったといい「1軍の試合は見ています」
野球が、つまらなかった。偽りのない本音だ。ソフトバンク2軍は26日、ウエスタン・リーグの広島戦(由宇)で6-4で勝利した。「1番・指名打者」で出場したのが、右肩痛からの復帰戦となった正木智也外野手。3打数1安打、2四球を選んで得点に絡み、チームの勝利に貢献した。1軍の開幕スタメンから始まった2023年シーズン。今の心境について、久々に口を開いた。自分を見失いかけた時期に、きっかけを与えてくれた小久保裕紀2軍監督の言葉とは――。
まずは初回、まっさらな打席に立つ。2球目を打ち上げると、一邪飛に倒れた。3回1死には二塁打を放ちチャンスメーク。5回無死一塁も四球でつなぎ、吉田賢吾捕手の中前打で4点目のホームを踏んだ。8回1死は凡退したが、久々の実戦で4度の打席に立ちフル出場。生きた投手のボールに「3か月ぶりでしたけど、ギャップとかも感じなくて。思ったよりもスッと入れた。残りの2打席も、タイミング的には良かったですし、自分のスイングができた」と手応えを語る。
今季、藤本博史監督から「50打席与える」と開幕スタメンを手渡された。しかし、18打席無安打で4月19日に登録抹消。6月3日に登録され、4日の広島戦(マツダ)で今季初安打を放ったものの、1軍でのヒットはその1本のみ。15試合に出場して打率.038、1打点。2年目にして、厚すぎるプロの壁にぶち当たった。それに加えて、苦しめられた右肩の痛み。どんな心境で、リハビリ期間を過ごしてきたのか。
「最初、怪我してからは本当につまらなくて、野球が。けっこう重い怪我だったので、練習自体もつまらなかったんですけど。最初の1週間くらいでその気持ちは終わって。次の週からは、しっかりと課題を見つめ直して、小久保さんとも話して明確化して。ウエートも週に4回、多い時は週6回してきたので。その中で体も、スイングの力も打球の強さも変わってきたので。そこからまた野球が楽しくなってきました」
野球が“つまらない”というのも、偽りのない本音だろう。「ちゃんと練習はしていましたけど、目標もなかった。なかなか何をやればいいのか……」と自分を見失っていた。前を向けたきっかけは、小久保裕紀2軍監督、関川浩一コーディネーター(野手)。自分が進むべき道をすぐさま照らしてくれたことが、日々に活力を与えた。
「小久保さんと関川コーチが、ミーティングを開いてくれて。『正木のバッティングの課題はこうだ』っていうのを教えてくださって。そこから、やりたいこともできて、練習も課題に向けて考えてできるようになった。野球に真摯に取り組めるようになったというか、楽しく過ごせて、まだリハビリですけど、いい期間を過ごしているかなって思います」
多くて週6回のウエートトレーニングなど、とにかく自分を追い込めたのも、明確な目標があったから。体重は2キロ増え、定期的な計測をする中で、筋肉量などの変化を感じている。「練習した分だけ上手くなるっていう実感を持ちながらリハビリ期間を過ごせた」。つまらなかった野球は、少しずつ楽しくなっていった。プロ生活で味わったことのなかった長期のリハビリだったが、何倍も頼もしく、パワーアップして帰ってきた。
1軍のペナントレースも、残り8試合。1軍の試合もしっかりと確認していたといい「試合も見ていましたし、あの舞台に出たいというのはずっと感じていて。そのもどかしさ、焦りもあったんですけど。焦っても意味ないというのは、わかっていたので」と足元だけを見つめてきた。高校、大学の先輩でもある柳町達外野手や、親交深い同級生の増田珠内野手らとも、頻繁に連絡を取っていたという。
「達さんは子どもが生まれて、そこで連絡を取ったというか出産祝いも渡して、という連絡を。増田とはご飯も行ったので、コミュニケーションもしっかりと取れています」
今回の2軍戦の位置付けは「合流」ではなく「参加」だといい、まだリハビリ組の管轄。「守れないですけど、2軍の方から呼ばれて。僕から行きたいとか、ということではなくて。呼ばれて『行きたいです』って感じでした」と、出場することになった経緯を明かす。2023年のシーズンはあと少しだが、今は自分のために、確実に前に進み続ける。
「しっかりと、怪我が長くなるというのはわかっていたので。長期的に最初からやっていました。怪我してから3か月くらい経つんですけど、だいぶ投げられるようになってきて、強度も上がってきました。シーズンは無理だとしても、フェニックス(リーグ)とか秋季キャンプとかもあるので。そこに出られるようにしっかりと治していきたいと思います」
表情も、声色も明るかった。長かったリハビリを乗り越えようとしている正木は、誰よりも野球を楽しんでいる。
(取材・米多祐樹 / Yuki Yoneda)