母の命日だった。ソフトバンク2軍は2日、ウエスタン・リーグの広島戦(タマスタ筑後)で3-4で敗戦した。シーズンを戦う1試合だとしても、特別な思いでこの日を過ごした選手がいる。高卒5年目の渡邉陸捕手だ。昨年の9月2日、球団から母親の桃子さんが亡くなったことが発表された。愛する母が天国に旅立ち、1年が経った。
渡邉陸は2018年育成ドラフト1位で、鹿児島の神村学園高からホークスに入団した。試合前の時点では、今季ウエスタン・リーグで67試合に出場して打率.220、1本塁打、11打点。1軍出場こそないものの「毎日結果が出なくても、気持ちの部分とか取り組みとかを意識していれば、それがいい形につながると思う」と明確な目標を持ちながら過ごしている。1軍昇格は目標の1つだが、自分自身のレベルアップにも集中している現状だ。
愛する母が亡くなって、1年が経っても「まだあんまり実感がない感じです」というのが率直な思いだ。朝を迎えた時の心境も「そんな普段と変わらない感じ」。何気ない1日と違う日であることはわかっていても、実感はついてきていない様子だった。この日の広島戦では8回2死一塁から代打で登場。右飛に倒れると、試合後はバスに乗って大分に移動した。
昨年の9月2日、2軍はウエスタン・リーグのオリックス戦(杉本商事Bs)だった。当時について「その時は、9月1日にちょうど遠征先の神戸に着いて。その次の日の朝にホテルで(知らせを)聞きました」と、今だから明かせる。「マネージャーに言って。(小久保裕紀2軍)監督にも(帰っていいか)確認したら『すぐ帰れ』と言っていただきました」とすぐさま新幹線に飛び乗って、熊本に向かった。
熊本県西原村で生まれ育った。父の職業はトラックの運転手。「小さい頃から1か月に1回、帰ってくるくらいだった」と父は家族のために汗を流し、母が家を守ってくれていた。「(兄を含め)男2人を毎日、育ててくれました。優しかったですよ」という母の人柄。兄の影響もあって、小学校から始めた野球。それが今では、自分の人生を支える「プロ」の仕事となった。
高校は鹿児島の強豪校でもある神村学園高を進路に選んだ。15歳にして親元を離れる野球留学。“渡邉家”による家族会議が行われ「その時はお父さんもいて。あんまり否定とかもされなかったです。『お前が決めろ』みたいな、ずっと言われていたので。『行きたいなら頑張れ』じゃないですけど、好きにさせてもらいました」と言う。青春時代は「野球漬けでした」と、とにかく聖地を目指した思い出が色濃く残っている。
迎えた2018年10月25日。運命のドラフト会議を迎えた。渡邉陸は神村学園高の寮、母は祖父母とともに熊本の実家で吉報を待っていた。育成1位での指名。なんと渡邉陸はその瞬間「普通にお風呂に入っていたんです。ドラフトも見ていなくて、寮の放送で監督に呼ばれてって感じで知りました」と笑って振り返る。興奮して、母のスマートフォンに電話をかける。電話越しの母の声は、今も忘れられない。これからも絶対に忘れない。
「お母さんは、泣いていました。(プロ入りは)親孝行になったんじゃないかなと思います」
神村学園高時代も、プロ入りして以降も寮生活。家族の偉大さを感じるのは、昨年に一人暮らしを始めてからだという。寮生活時代は料理も用意してもらえた。しかし今では野球に打ち込み、疲れて家に帰っても、自分で掃除も洗濯もこなさないといけない。「大変なんだなって思っています……。一人暮らしを始めてからですね」と、少しずつたくましくなっているところだ。
2022年は1軍で20試合に出場。5月28日の広島戦(PayPayドーム)では2本塁打を放ち、プロ初スタメンで鮮烈なデビューを飾った。母はその時、入院していた。「その時はまだ重いものって思ってもいなくて。でも入院自体は2回目、3回目くらいだった。入院中でしたから、より『頑張ろう』と思って」。戦っている姿を届けたかった。強い気持ちでグラウンドに立っていたことは、今でも覚えている。
「1軍に上がった時に見にきてほしかったですけど、入院中だったので(来られなかった)」と振り返る。翌日の29日の試合は、父を含めた家族がPayPayドームまで観戦に来てくれた。初ホームランの記念球は今、熊本の実家にある。戦っていた母親のために、息子が全力をかけて得た何よりの“勲章”だ。
昨年末も実家に帰省。母が旅立って、初めてのまとまった帰省だったが「違和感がありました。いつもと違う感じで……」。支えてくれた存在が、いない。現実を受け入れようとしても、なかなか簡単にはいかなかったようだ。福岡に戻ってくる時には、父から「いつも通り『今年も頑張れ』って」と背中を押されて帰ってきた。2023年シーズンも、あと少しだ。
1年が経ったこの日。「この世界にいる限りは、1軍で活躍している姿を見せたいです」と決意は新たになった。取材の終わり際、ポツリと漏らすように言った。「あんまり考えたら泣きそうになりますね」。大きな愛が育ててくれた。母のように、優しく生きていきたい。